夏休みを思いかえして。

epa?の活動には、来る人がくるのがほどよい。
来ない人はどこかでそれぞれの時間を過ごしていたのだなと思います。
epa?に来ることが大事なんじゃなくて、そこでどんな時間を過ごすのかを大事にしたい。
みんな充実した時間が過ごせたかな。過ごせていたらいいな。
なるべく拘束のない時間をつくろうとがんばりました。
拘束するのでなくて、共存する時間みたいなのがいいよね。
なるべく自身がそうあるべきみたいと思う時間にいてほしいな。
ぼくは遅刻は仕方がないよね、と思います。どうしてももう少し眠りたい気持ち、洗濯物を洗濯槽に置き去りにはできないこと、朝ごはんをゆっくり咀嚼したい気分・・・そういうのを、ただ集合時間のためにさっと通り過ぎないでほしい。見捨てるとしても、自分で葛藤して決めてほしい。だからぼくは、それらと向き合って遅刻してもいいと思うな。
一言には言えないかもしれないけど、集合時間に間に合うかよりも、遅れてもどんな時間を過ごしたかを尊重したいと思う。もちろん集合時間も大事。ただそれだけで時間はあるわけではない。
だからなのか、今年は遅刻が多い!
とっても多かったです!

川や海で何度か活動をしました。
活動の目的は、その場に行くこと。そこで何をするのかはそれぞれが探します。その探すことは目的じゃないので、何もしないでぼーっとしていてもいい。そこでは何かに価値や意義が用意されてるわけでもない。誰かの目的の為でない時間。ただの時間に身を置くこと。そういうことをしたりしていました。でもそういう中で過ごした時間は、後々うまいことまとまった言葉にならなかったりするから、人に伝えるのって難しい。
譬えばそういうことって、必ずしも言葉で伝えよう、伝えてもらおうとしなくてもいいんじゃないかなあって思います。そこでその人は確かにその時間を過ごしていて、その体験の先っちょに今ここに居る。そんなもんだと思います。
自然のいいところは、あっちはただあるだけのところ。ぼくらが行こうと行くまいとは別にそこにあるだけ。何を用意するわけでもなく、上面のお人好しが一切ない。でもぼくらはぼくらで、何かしら拾ったりする。誰の為でもなく、けれども誰かの為にはなったりしてる。そういう関係の中にいると、ただこうあればいいのかもなあと、思えちゃう。そういう拾い物をして、おうちに帰ります。
9月2日 演出・岡田直樹

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